2020年6月7日

「新しい日常」にツイテケナイ黄昏エンチョーのつぶやき ~その2~ 魂を蔑ろにするな!

3月下旬、鬱々としていた僕は、久しぶりの休みに好きなフォークシンガー(死語か?)の一人「友川カズキ」のライブ録画を自宅で観た。彼は知る人ぞ知る、どこまでもクラ~~イ歌を歌うエネルギッシュな歌手/詩人/画家、最近で言うアーティストである。たまに大音量で聞くと訳もなく涙がこぼれてくる。彼の歌は僕の魂を揺さぶるのだ。

友川は秋田生まれだ。前回に続き秋田話題で申し訳ないが、彼は僕より少し年上で、僕は八郎潟の東岸、彼は北岸の田舎町で高校まで過ごしている。高卒後、すぐに東京へ出たことも共通している。そんなこともあって、おそらく魂が共鳴するのだろう。

彼がそのライブで語った言葉が、新型コロナウィルス(以下COVID-19と表記)禍で鬱々としていた僕の目を覚ました。彼は秋田県では著名人の一人なので、秋田県の「県起こし審議会?」の委員になったらしい。彼の競輪好きは有名な話。一時は競輪番組も持つほどだった。その審議会で意見を求められた友川は「秋田県にも競輪場を造って、競輪を見て県民が燃え上がるようにしたらどうか。」と場をわきまえずに言い放ったらしい。対応に困った知事が「秋田県にも○○市に場外車券場を建設している」と取り繕った。すると友川は「場外車券場ではだめだ、競輪のすばらしさは臨場感であって、現場で選手とファンが一体になることで魂が揺すぶられるのだ、場外車券場は魂を蔑ろにしている!魂を蔑ろにしてはいけない!」と言ってやったと、エピソードを紹介していた。

あの頃、僕が鬱々と感じていたことをズバリ言ってもらった気がした。「魂を蔑ろにするな!」。エンチョーとして、何かおかしいと思いながら生物学的ないのちを最優先にしてCOVID-19と闘おうとしていた。でも、いのちは、身体と魂からなっている、どちらがかけてもいけないという当たり前のことに気づかされたのだ。前近代的かもしれないが……。

志村けんがCOVID-19に罹患して亡くなった。それ自体残念なことで悲しいことだが、それよりも遺族が亡骸と対面できない、触れない、最期のお別れができないことに、このCOVID-19騒動の異様さを感じた。遺族との対面を止める権利は誰にもない。僕だったら誰が止めようとも最期の別れをするだろう。魂を蔑ろにするな!である。

人の魂(思い)を蔑ろにしてはいけない!このころから、僕はこれらの思いをいつか吐き出してやると思うようになった。黄昏ても吠えてやる!(5/30)

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