2020年7月14日

「新しい日常」にツイテケナイ黄昏エンチョーのつぶやき ~その8~ 緊急事態?②

 実は、水口教会の礼拝は、幼稚園休園に合わせて3月1日~15日までの3週間は会堂で行なわず家庭礼拝にしていた。僕自身は緊急事態と捉えていなかったが、幼稚園臨時休園との整合性をとるために会堂での礼拝を控えたに過ぎない。COVID-19感染への危機感からではなかった。4週目の3月22日から4月5日までは会堂での礼拝を再開している。先述のように4月6日水口町内に感染者が確認されたので、翌週12日から5月10日までの5週間は「3密」を避け再び家庭礼拝に切り換えてきた。

 エンチョー・ボクシとしてCOVID-19感染拡大の危機感を覚えたのは前述の2回のみ。あとは、COVID-19感染について「いまここでは何も怖くない!」とエンチョーは職員会議で強調してきた。ところが中々職員に理解されない。そこで、エンチョーは全国一斉休校の要請を受けて、どう対処するかを職員同士が徹底的に話し合って結論をだそうと決心した。ここは号令一下や上意下達ではなく納得いくまで話し合って結論を導く良い機会だと考えたのだ。緊急事態でも危機的状況でもない今だからこそ、危機とは何か、緊急事態とは何か、保育とは何か等々、全員で思索を深める絶好のチャンスだと考えたわけだ。

 3月初旬より相当な時間をかけて、協議を重ねた。緊急事態ではないので(僕だけの感覚だったかもしれない……)リーダー=この場合エンチョー=が決定するのではなく、皆で徹底的に話し合い、意見や感覚の違いを理解し合い、結論を出すことに努めてきた。エンチョーは調整役に徹した。つぶやくように?強く意見を言ったこともあったが、ほぼ却下された。すべての職員が意見を出し合い、話し合う。このことにエンチョーは大きな意義を感じていた。会議の結論は、ある時は午前保育、ある時は休園、ある時は休園の延長、ある時は開園……等々、傍目からは一貫性のない結論だったかもしれない。でもどんな結論が出たとしてもエンチョーが全面的に責任を負おうと考えていた。上意下達ではなく、職員が自分の意見をしっかり出し合い、互いを理解し、違いを認識しながら、落とし処を探す作業が、何にも増して貴重だったと振り返っている。5月末までの3ヶ月間に職員は大きく変わったとエンチョーは感じている。

 僕は、緊急事態であるかどうか、危機であるかどうかは、自分自身で感知し、認識し、対処すべきだと考えている。少なくともそのような力を研いておくことが大切だと思っている。危機は他人に指摘されることではない。ましてや上意下達で一斉一律に宣言されるものでもない。「不審者情報」を考えてみれば分かる。「不審者」かどうかは自分で判断することであり、上からステレオタイプに「不審者」が規定されるものではない。「不審者」という得体の知れないものを想定してビクビクする。僕も、僕の友人のボクシも「不審者」として通報されたことがあった(らしい?)。実際には決して緊急ではない情報提供(操作)によって仲間同士が傷つき分断されるのを僕はしばしばみてきた。腹立たしい限りだ。今回の緊急事態と繋がるところがある。(6/26、つづく)

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