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ナレータ |
トントン、タンタン、ギュッ、ギュッ、ギュッ。
マルチンは町の通りが見える地下室で、今日もくつ作りにはげんでいます。地下室の一つしかない窓からは、道ゆく人の足元だけが見えました。 |
マルチン |
あの黒いくつをはいていやはるのは……、セルゲイはんや。ずいぶん急いで歩いていかはる。
きっとだれとぞ待ち合わせでもしていやはるんやろう。 |
ナレータ |
マルチンは、はいているくつを見ただけで、だれが通ったか、すぐ分かります。
なぜって、仕事がていねいで、じょうぶなくつを作るマルチンに町の人はみんな、くつを作ってもらっていたのですから。 |
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マルチン |
おや。あの赤い小さなくつとちゃ色のくつは…、マトリョーナおやこでんな。子どもといっしょにお出かけでっか……。
楽しいやろうなぁ……。
あぁ、カピトーシカが生きておったら……。わてもむすこと二人で、魚つりにでも出かけられんのに……。 |
ナレータ |
ずっと前に、おくさんがなくなり、たった一人のむすこカピトーシカまで、病気でなくしてしまったマルチンは、さびしくてしかたがありませんでした。 |
マルチン |
わてにはもう、なんののぞみもおまへん!たった一人で生きておったって、楽しいことなんかあらへん。神さんはあんまりや! |
ナレータ |
マルチンは神さまをうらみ、やがて教会にも行かなくなりました。 |
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ナレータ |
いなかからニコライじいさんがたずねてきました。 |
ニコライ |
マルチン、神さんのせいにするのは、まちごうとるぞ。 |
マルチン |
ほんじゃ、人間はなんのために生きていけばよろしんでっか? |
ニコライ |
それや、マルチン。おまはんに命くれやはったんはどなたはんや? |
マルチン |
………。 |
ニコライ |
神さんや、神さんが命をくれやはったんや。ほやから人は、神さんのために生きていかなあきまへん。 |
マルチン |
神さんのために……? |
ニコライ |
おまはんは本が読めるんでっしゃろ?聖書をこうて読んでみなはれ。神さんのために生きていくにはどないしたらええか、ちゃんと書いたる。 |
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ナレータ |
マルチンはさっそく、その日のうちに聖書を買ってきて、読みました。 |
マルチン |
ふしぎやなぁ。読んどると心が安まりよる……。こんなおちついた気持ちになりよったんは、カピトーシカが死んでから、はじめてや。 |
ナレータ |
それからマルチンは、朝から夕方までくつやの仕事をいっしょうけんめいしました。そして夜は聖書を読んでおいのりをし、イエス様のことを考えながら、ねむる毎日になりました。 |
声 |
マルチン! |
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ナレータ |
だれかがよびかけるような声をきいて、マルチンはふり向きました。 |
マルチン |
どなたはん! |
ナレータ |
ドアのあたりを見わたしても、だれもいません |
声 |
マルチン、おいマルチン!
あした、通りを見ていなさい。わたしはおまえの所に行くから |
ナレータ |
だれもいないのに、たしかに声が聞こえます。
マルチンはなぜか、イエスさまの声のように思えました。 |
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マルチン |
ほんまにイエスさん、来てくだはるんやろうか……。 |
ナレータ |
次の日、マルチンは仕事をしながら、なんどもなんども、まどの外を見ました。
北の国の十二月。外はまっ白い雪がつもっています。ふと、一人の老人に、目が止まりました。雪かきにつかれて、ぼんやり立ちすくんでいます。 |
マルチン |
こんな寒い日に、外の仕事はたいへんやなぁ。 |
おじいはん、寒いでっしゃろ。どないどす。なかに入らはって、お茶でも飲んで行かはりません? |
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老人 |
ふーう、からだのしんまであったまった。大助かりでさぁ。 |
マルチン |
さあ、もういっぱいどないどす? |
老人 |
おおきに、おかげはんで、心も体もすっかりあったまりよったは。 |
マルチン |
それは、よろしましたなぁ。また、いつでも、よってくんなはれ。わては一人ぐらしやさけ、どなたはんぞ、たづねてくだはると、うれしいおます。 |
ナレータ |
元気をとりもどしたおじいさんは、お礼を言うと、また雪かきの仕事にもどっていきました。 |
マルチン |
イエスさん、いつ来てくだはるんやろうか……。 |
ナレータ |
マルチンは外を気にしながら、またくつをぬいはじめました。 |
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ナレータ |
ピュー、ヒューーウ。
つめたい風が、道につもった雪をまいあげます。人びとは、みんな足早に通りすぎていきます。
しばらくすると、あなのあいたくつをはいた女の人がつかれた足取りで近づき、マルチンの家の前でしゃがみこんでしまいました。
女の人はボロボロのふくを着て、だいている赤ちゃんをくるむ毛布もありません。 |
マルチン |
こらあかん。あんなかっこうじゃ、赤んぼうが死んでしまいよる! |
ナレータ |
マルチンは急いでドアをあけました。 |
マルチン |
おかみはん、どないしやはりましたんや?さあさあ、うちの中にお入りやす。 |
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マルチン |
さあさあ、だんろの前であったまんなはれ。赤んぼうに、ちちのましてやんなはれ。 |
女の人 |
わたいはもう、おちちが出まへん。朝から、なにも食べていまへんのや。 |
ナレータ |
おかみさんはパンとシチューをおなかいっぱい食べました。赤ちゃんもおちちをもらってごきげんです。 |
マルチン |
古いが、よかったら、これ使こておくんなはれ。 |
ナレータ |
マルチンはタンスの中から、コート出してきてわたしました。 |
女の人 |
おおきに!なんとお礼を言わしてもらったらええか……。 |
マルチン |
かまへん。おかみはんがよろこんでくれれば、ほんとにうれします。 |
ナレータ |
マルチンはあたたかいコートにくるまった赤ちゃんとおかみさんを、ドアから見送りました。 |
マルチン |
イエスさんは、まだ来てくだはらへん……。 |
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おばさん |
こら、まて、どろぼう! |
ナレータ |
とつぜんの大声に、マルチンは外に飛び出ました |
おばさん |
さあ、けいさつにつき出してやる! |
男の子 |
ぬすんでなんか、いないよう!はなしておくれよう! |
ナレータ |
男の子はリンゴ売りのおばあさんから、リンゴをとって、にげようとしたのです。おばさんは男の子のうでをつかまえて、どなっています。
マルチンは二人の間にはいって言いました。 |
マルチン |
おばはん、かんべんしたってんかい?この子はもう二度とせいへんさけ、リンゴのおだいはわしがはらうさけ。 |
おばさん |
なんで、ゆるすんよ。子どもをあまやかしたら、ろくなことあらへん。 |
マルチン |
この子かて、おなかへっとったんやろ。な、おばはん、わしらの考えやったら、そうかもしれへん。でも、神はんはゆるしてやんなはれと言ってやはる。わしらかって、ゆるし合わな……。 |
ナレータ |
おばさんは、男の子のうでをはなしました。 |
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おばさん |
……ほんま、そうやな。 |
マルチン |
おい、ぼうや、もう二度とこんなことしたら、あかんよ。 |
男の子 |
うん、おばあちゃん、ごめんよ。
ぼく、おばあちゃんの荷物、持ってってあげる。 |
ナレータ |
おばあさんと男の子は、二人ならんで帰っていきました。 |
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ナレータ |
まどの外はすっかり暗くなりました。
マルチンは仕事を終えて、ランプのあかりで聖書をひらき、しずかにきょうのできごとを思い出していました。 |
マルチン |
イエスさんは、来てくだはらへんかったな……。 |
ナレータ |
すると、どこからともなく |
声 |
マルチンよ、わたしがわからなかったのか。 |
マルチン |
ど、どなたはんどす? |
声 |
わたしだよ。あれはみんな、わたしだったのだ。 |
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声 |
あれもわたしだったのだ。
あれも、わたしだった。 |
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声 |
あれも、あれも、わたしだったのだよ |
ナレータ |
みんなはマルチンにあいさつをすると、すーっと消えていきました。 |
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マルチン |
イエスさんは、ほんまに来てくだはった。 |
ナレータ |
マルチンのむねは、よろこびで、いっぱいになりました。 |
マルチン |
まずしい人、力のない人、びょうきの人や、家のない人の中にわたしはいます。 |
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